世界大百科事典(旧版)内のガーリチ公国の言及
【ガーリチ・ボルイニ公国】より
…キエフ・ロシアの分裂化が進行し,キエフ大公の地位が低下する中で,強力な公国の一つとして発展し,12世紀末には大公国と称した。当初ガーリチ公国とボルイニ公国として隣接する別々の国であったが,1199年ボルイニ公ロマンRoman Mstislavich(?‐1205)がガーリチ公国を併合して一つの公国とし,このロマンが大公の称号を採用した。キエフ・ロシアの南西部にあってポーランド,ハンガリーと国境を接し,ドナウ川沿岸地域をめぐってビザンティン帝国との関係も生じるという位置にあったため,これら諸国の介入を受けたり,ポロベツ人の襲撃に対処しなければならなかった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」