《ギオルギ光輝王法典》(読み)ぎおるぎこうきおうほうてん

世界大百科事典(旧版)内の《ギオルギ光輝王法典》の言及

【ギオルギ[5世]】より

…イル・ハーン国支配下の東グルジア王位に就くと,母の実家で1262年より独立状態にあったジャケリ家領,1259年以来分離していた西グルジア王国を併せて国家的再統一を達成し,さらにイル・ハーン国のアブー・ザイド(在位1317‐35)の死後は,領内からモンゴル遊牧民を追放して独立を成就した。《ギオルギ光輝王法典》を編ませ,国家の封建的再編成を企てた。【北川 誠一】。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」