世界大百科事典(旧版)内のギンズブルグ,E.S.の言及
【アクショーノフ】より
…国外で前衛小説《火傷》(1981)その他の作品を精力的に発表している。なお,彼の母はスターリンの粛清によって10年間,極北の地コリマで収容所生活を送ったジャーナリストのギンズブルグEvgeniya Semyonovna Ginzburg(1906‐77)である。【原 卓也】。…
【コリマ】より
…38年には収容所側の命令で4万人以上の囚人が銃殺された(その責任者ガラーニンは翌年銃殺されている)。この収容所の生活についてはこの地で18年間を過ごしたギンズブルグEvgeniya Semyonovna Ginzburg(1906‐77)の回想《けわしい行路》(1967。邦訳《明るい夜 暗い昼》)が貴重な証言を残している。…
※「ギンズブルグ,E.S.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」