クトゥブ・シャーヒー(読み)くとぅぶしゃーひー

世界大百科事典(旧版)内のクトゥブ・シャーヒーの言及

【ムスリム五王国】より

…その五王国は次のとおりである。(1)ベラール州総督ファトフッラー・イマードル・ムルクのイマード・シャーヒー‘Imād Shāhī王国(1484‐1572),(2)ベルガウム州総督ユースフ・アーディル・ハーンのアーディル・シャーヒー‘Ādil Shāhī王国(1489‐1686),(3)ダウラターバード州総督のアフマド・ビン・ニザームル・ムルクのニザーム・シャーヒーNiẓām Shāhī王国(1489‐1636),(4)テレンガナ州総督スルタン・クリー・クトゥブル・ムルクのクトゥブ・シャーヒーQuṭb Shāhī王国(1512‐1687)の4王国がまず独立した。(5)バフマニー朝の王統が断絶した1520年代,同王朝の宰相家だったアミール・バリードがバリード・シャーヒーBarīd Shāhī王国(1528‐1619)を建て,ここに五王国が成立した。…

※「クトゥブ・シャーヒー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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