世界大百科事典(旧版)内のクラクフ共和国の言及
【ポーランド】より
…この構想が15年にウィーン会議において,会議王国Kongresówkaとして実現することになる。 なおウィーン会議では,さらにクラクフ共和国(ロシア,プロイセン,オーストリアの共同管理下に置かれ,1846年のクラクフ蜂起のあとオーストリア領に併合)とポズナン大公国(プロイセン王国内の自治領とされるが,1848年の蜂起のあと自治権を否認される)がワルシャワ公国領からつくられている。チャルトリスキが起草した会議王国の憲法は,たいへん民主的なものであったが,ロシア皇帝はその規定を尊重しようとしなかった。…
※「クラクフ共和国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」