クラクフ共和国(読み)くらくふきょうわこく

世界大百科事典(旧版)内のクラクフ共和国の言及

【ポーランド】より

…この構想が15年にウィーン会議において,会議王国Kongresówkaとして実現することになる。 なおウィーン会議では,さらにクラクフ共和国(ロシア,プロイセン,オーストリアの共同管理下に置かれ,1846年のクラクフ蜂起のあとオーストリア領に併合)とポズナン大公国(プロイセン王国内の自治領とされるが,1848年の蜂起のあと自治権を否認される)がワルシャワ公国領からつくられている。チャルトリスキが起草した会議王国の憲法は,たいへん民主的なものであったが,ロシア皇帝はその規定を尊重しようとしなかった。…

※「クラクフ共和国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む