クラヨバ協定(読み)くらよばきょうてぃ

世界大百科事典(旧版)内のクラヨバ協定の言及

【ドブロジャ】より

…18世紀末からドブロジャはいわゆる東方問題の係争地となり,しばしば露土戦争の戦場となったが,そのたびに住民の移動が行われ,複雑な民族構成が地域的特色の一つとなった。1878年ドブロジャの大半はルーマニア王国に編入され,農業地帯として発展しはじめたが,南部(カドリラテルKadrilater地方)をめぐってルーマニア,ブルガリア間に領土問題が生じ,1940年のクラヨバ協定で現在の国境が設定され,その後47年のパリ条約で再確認された。【萩原 直】。…

※「クラヨバ協定」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

新暦の 4月後半から 5月の,梅雨前に日本列島が大きな移動性高気圧に覆われたときの晴天。発現期間は短い。もともとは旧暦 5月が梅雨にあたることから,梅雨の晴れ間の意味で,梅雨晴れ(つゆばれ)とも呼ばれ...

五月晴れの用語解説を読む