世界大百科事典(旧版)内のクリミア・タタールの言及
【クリム・ハーン国】より
…1475年オスマン帝国の宗主権下に入り,ロシア・東欧に対する緩衝国家の役割を果たしたが,18世紀に入りロシアの攻勢に直面,1783年ロシア帝国に併合された。クリミア半島のイスラム化とトルコ化はクリム・ハーン国時代にほぼ完了,住民はクリミア・タタール人と呼ばれた。【小松 久男】。…
【タタール】より
…人種的にはモンゴロイドで,ノガイ語を話す。(3)クリミア・タタール 約30万人前後。ステップの彼らはノガイの子孫であり,南岸のクリミア・タタールは,小アジアのトルコ人の子孫でそれぞれ異なる。…
※「クリミア・タタール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」