世界大百科事典(旧版)内のクレショフ,L.V.の言及
【地盤沈下】より
…地下水や天然ガスを含む塩水を地下から過剰に揚水することによって起こる地盤の人為的下降運動をいう。石炭,金属鉱床の採掘による地表の陥没運動も地盤沈下と呼ぶ場合があるが,多くの場合,前者の意味で使用される。
[地盤沈下のメカニズム]
地下のある地層から地下水が過剰に揚水され,同時にかなりの量の地下水が同じ地層に補給されない結果,地層が収縮して起こる現象が地盤沈下である。(1)帯水層となる砂礫層などを挟んで粘土層が存在する場合,帯水層から地下水の揚水が行われると地下水圧(地下水位)は低下し,上下の粘土層へも水圧低下が波及し,帯水層に向かって地下水が絞り出され粘土層が収縮する。…
【ソビエト映画】より
…そして,プドフキンとエイゼンシテインによって〈社会主義芸術としての映画〉が創造され,育成される。監督であり映画理論家でもあるクレショフL.V.Kuleshov(1899‐1970)とともにプドフキンとエイゼンシテインは,D.W.グリフィスやチャップリンをはじめ,アメリカ映画の技術や手法を分析した結果を〈唯物弁証法〉的に理論化してモンタージュ理論を提唱した。サイレント映画史を飾るエイゼンシテイン監督《戦艦ポチョムキン》(1925),プドフキン監督《母》(1926)がつくられ,エイゼンシテインの革命10周年記念映画《十月》(1928),プドフキンの《アジアの嵐》(1928)が続き,さらに社会主義的建設を啓蒙宣伝するエイゼンシテイン監督《全線(古きものと新しきもの)》(1929),ウクライナのドブジェンコA.P.Dovzhenko(1894‐1956)監督の農業集団化を描いた《大地》(1930)などの作品がつくられた。…
【プドフキン】より
… 革命直後のモスクワでD.W.グリフィス監督の《イントレランス》(1916)を見て映画作家を志し,モスクワの国立映画学校(1919年に開校)に入る。俳優,脚本家,助監督の実技を学び,22年,レフ・クレショフ(1899‐1970)の映画実験工房のメンバーとなり,〈モンタージュ〉〈編集〉の技術を習得する。25年,最初の監督作品としてパブロフの条件反射学説の科学ドキュメンタリー《頭脳の機能的構造》をつくる。…
【モンタージュ】より
…一方ソビエトでは,フランス映画やアメリカ映画の構造を具体的に分析して〈映画芸術の基礎〉としてのモンタージュ論が展開される。監督・理論家のレフ・クレショフLev Kuleshov(1899‐1970)は〈モンタージュは映画のドラマトゥルギーである〉と考え,プドフキンはモンタージュがカットの〈連結〉である点を強調し,エイゼンシテインは逆にカットの連結ではなく〈衝突〉がモンタージュの本質であると主張した。こうしてモンタージュ論は映画の技術論から芸術論へと発展した。…
※「クレショフ,L.V.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」