世界大百科事典(旧版)内のクレートン=バルワー条約の言及
【ニカラグア】より
…1821年にグアテマラ総督領が独立を宣言するとともに,スペインから自由になり,短命に終わったメキシコ帝国の一部となったのち,23年に中央アメリカ連邦(〈中央アメリカ〉の項目参照)の結成に参加し,連邦が崩壊した38年にニカラグア共和国として自立した。イギリスは伝統的に東部海岸に勢力をもっていたが,アメリカも運河建設に関心を抱いており,50年のクレートン=バルワー条約で両国の対立は鎮静した。ニカラグア国内では,独立以前から保守派と自由派との抗争があり,前者はグラナダに,後者はレオンに基盤を置いていたため,首都は57年に両者の協議でマナグアに置かれることになった。…
【ヘイ=ポンスフォート条約】より
…米西戦争後,アメリカはカリブ海と太平洋に植民地を領有し,地峡地帯の運河建設に関心を強めた。イギリスに対し,運河の共同建設を定めたクレートン=バルワー条約(1850)の廃棄を要請し,アメリカが単独で運河を建設し運営に当たる新条約の締結を求め,イギリスは運河の自由航行と平等課税方式によりこれを認めた。本条約締結後,アメリカはさらに地峡地帯を永久に租借できるようコロンビアと交渉し,同国の反対にあうやパナマ独立運動を画策し,1903年,新たに独立したパナマとヘイ=ブノー・バリーリャ条約を結ぶ。…
※「クレートン=バルワー条約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」