世界大百科事典(旧版)内のグライン,J.T.の言及
【イギリス演劇】より
…1870年代から90年代にかけて,W.S.ギルバートの脚本と詞,A.S.サリバンの曲によって発表された,〈サボイ・オペラ〉と呼ばれる一連のオペレッタも人気を集めた。
[20世紀]
イギリス演劇をヨーロッパのものに近づけようとする運動は,J.T.グラインが1891年に創設した独立劇場クラブに始まる。これはW.アーチャーの訳によるイプセン劇やG.B.ショーの作品の上演を通じて,思想性をもった劇の確立に努めた。…
【近代劇】より
…ハウプトマンを世に送ったのはこの劇場である。小劇場運動はロンドンにも波及し,オランダ生れのJ.T.グライン(1862‐1935)が1891年に同じく《幽霊》で〈独立劇場〉を始める。翌年,ここからG.B.ショーが《やもめの家》で劇作家としてデビューした。…
【劇団】より
…同時に,劇作家の協力を得て,演出家を中核に,演技アンサンブルを尊重し,装置,照明に立体的造形をはかる上演集団のあり方が劇団制の問題として再検討・再認識された。この自由劇場運動は各国に波及し,89年,O.ブラームがベルリンに〈自由舞台Freie Bühne〉を創立,91年,グラインJacob Thomas Grein(1862‐1935)がロンドンに〈独立劇場Independent Theatre〉を創立し,98年にはスタニスラフスキーらが〈モスクワ芸術座〉を創設した。これらはイプセン,ストリンドベリ,ショー,チェーホフらの近代劇作家の登場と呼応し,各国近代劇運動の基礎をつくった劇場,劇団である。…
【自由劇場】より
…19世紀後半のフランスは,商業主義に基づいたスター中心主義,ウェルメード・プレー(いかにも〈お芝居〉らしく巧みに作られた作品)全盛の時代であったが,そのような演劇への根源的レベルでの反抗として,そしてまた,時代の有力な文学上の思潮であった自然主義の影響下に,アントアーヌを一人の媒介者として生まれ出たのがこの自由劇場であった。 この運動とそこに含まれる精神は,すぐにヨーロッパ各国に波及して,オットー・ブラームの〈自由舞台〉(ドイツ),グラインJacob Thomas Grein(1862‐1935)の〈独立劇場Independent Theatre〉(イギリス)など,同様の演劇的精神(とまた類似の名称)をもったいくつかの劇場も生まれたので,広義にはこれらの劇場を拠点とした演劇運動も含めて〈自由劇場運動〉と呼ぶ場合も多い。 いずれにせよ,この流れはいわゆる近代劇の勃興・発展の中核をなすものであり,そのような視座からとらえれば,モスクワ芸術座にせよ,アイルランドのアベー座にせよ,あるいはさらなる派生としての日本の〈自由劇場〉にせよ,すべて同じ一つの歴史的潮流として展望することが可能であろう。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」