グラニコス河畔の戦(読み)ぐらにこすかはんのたたかい

世界大百科事典(旧版)内のグラニコス河畔の戦の言及

【メムノン[ロドスの]】より

…アケメネス朝ペルシア帝国末期に小アジアのトロアスに豪族の地位を占め,前336年マケドニア王フィリッポス2世のペルシア遠征先遣隊を敗北させた。アレクサンドロス大王の遠征に対しては,彼の意見が入れられず,グラニコス河畔の戦(前344)でペルシア軍が敗北した後も,海軍力をもってアレクサンドロス遠征の背後を脅かしたが,病死した。彼の妻バルシネは後に大王の妻となった。…

※「グラニコス河畔の戦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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