世界大百科事典(旧版)内のグレアム,W.W.の言及
【登山】より
…19世紀の終りに活躍したイギリスの登山家A.F.ママリーはより困難なルートからの登山を提唱し,スポーツ登山はその困難さの中に喜びを見いだすと説き,これはママリズムとして近代のアルピニズムのおもな思想となった。 ヒマラヤは,18世紀ごろからキリスト教の宣教師やインドの測量局員などが足を踏み入れていたが,純粋な登山を目的にヒマラヤを訪れたのはイギリスのW.W.グレアムで,1883年ガルワールおよびシッキムの7000m近い数峰を登り,95年にはママリーがナンガ・パルバット(8125m)で消息を絶った。92年イギリスのM.コンウェーのカラコルム遠征隊は,パイオニア・ピーク(6888m)に登り,99年イギリスのD.W.フレッシュフィールドはカンチェンジュンガの山麓を一周した。…
【ヒマラヤ[山脈]】より
…19世紀の半ばには,より学術的な探検を主として植物学者フッカーJoseph Dalton Hookerがシッキムを踏査(1848‐50),次いでドイツのシュラーギントワイト兄弟が西部ヒマラヤとカラコルムを広く踏査(1854‐57)し,ガルワールのアビ・ガミン(7355m)の6784mまで登高した。 ヒマラヤ登山を目的とした最初の人物はイギリスのW.W.グレアムで,1883年にアルプスのガイドを伴って,シッキムやガルワールなど各地の山を試登,現在のチャンガバン(6864m)に登ったと主張したが,これはヒマラヤ研究家たちによって否定されている。99年には戦闘的登攀論の主唱者A.F.ママリーがナンガ・パルバットに挑んだが,遭難。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」