世界大百科事典(旧版)内のけんどん争いの言及
【飯屋】より
…寛文(1661‐73)ころから〈けんどんそば切り〉ができ,それにならった〈けんどん飯〉〈食慳貪(めしけんどん)〉は上方でも見られるようになった。〈けんどん〉は慳貪,倹飩,見頓などと書き,語源については諸説があり,山崎美成(よしなり)と滝沢馬琴が〈けんどん争い〉と呼ばれる有名な論争をしているが,〈けんどん酒〉といった用例から考えて,盛切りにしたものを,物惜しみするとか,無愛想だという意味で〈慳貪〉と称したようである。こうした飲食店が階層分化を始めるのは江戸時代後期に入ってからで,明和・安永(1764‐81)ころから高級な料理茶屋が出現し,その対極としての飯屋が確認されるようになる。…
※「けんどん争い」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」