世界大百科事典(旧版)内のコトリャレフスキー,I.の言及
【ウクライナ】より
…(5)ガリツィア ポーランド分割によりオーストリア領となった。
[ウクライナのルネサンス]
1798年に刊行されたイワン・コトリャレフスキー(1769‐1838)の《エネイダ》は,近代ウクライナ文語の発展の始まりを意味するものであり,19世紀のウクライナ民族のルネサンスの開始を告げるものであった。農奴出身の詩人T.G.シェフチェンコ(1814‐61)はその力ある詩と生涯により,ウクライナ民族を代表する詩人となった。…
【ソビエト文学】より
…ウクライナはその後17世紀に,白ロシアは18世紀にロシア領となった。ポーランド語,教会スラブ語などの影響を排し,民衆語の要素をとり入れて近代ウクライナ文学語を創始した功績は,18世紀末の詩人哲学者スコボロダGrigorii Skovoroda(1722‐94),ウェルギリウスの《アエネーイス》にもとづく戯作《エネイーダ》(1798)で知られるコトリャレフスキーIvan Kotlyarevskii(1769‐1838)に帰せられる。ウクライナ・ロマン主義運動は民族の自覚を生み,国民詩人シェフチェンコにおいて頂点に達する。…
※「コトリャレフスキー,I.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」