世界大百科事典(旧版)内のこまの理論の言及
【ゾンマーフェルト】より
…1886年,ケーニヒスベルク大学に進み数学を専攻,卒業後,93年10月から1年間ゲッティンゲン大学の鉱物学研究所の助手を務め,次の2年間はC.F.クラインの助手となるが,この間にクラインの影響を受け数理物理学への関心が強まった。97年10月からクラウスタールの鉱山大学の数学教授となり,電磁波の伝搬やX線回折についての境界値問題を研究,またクラインと共著で《こまの理論》(1897‐1910)を出した。1900年4月には,アーヘン工業大学の応用力学の教授となり,彼の研究テーマはより工学上の諸問題の数学的解法の探究へと向かうことになった。…
※「こまの理論」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」