世界大百科事典(旧版)内のコモン・スクールの言及
【学校】より
… 早くから複線型の学校制度を脱却したのはアメリカであり,H.マン(1796‐1859)は自然法的権利としての教育を受ける権利を強調し,この考えから公教育費の増額,学校数を増加させる運動がすすんだ。さらにこれを受けて,1860年代には統一基礎学校としての初等学校(コモン・スクールcommon school)がつくられ始め,19世紀末には,これに中等学校(ハイ・スクールhigh school)を接続させる方式がとられるようになった。その多くは8・4制であり,20世紀に入って初等学校最終の2学年と中等学校の第1学年とをあわせて下級中学校(ジュニア・ハイ・スクールjunior high school)を設け,6・3・3制がほぼ半分の州で実現した。…
※「コモン・スクール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」