世界大百科事典(旧版)内の《コルテスの海》の言及
【スタインベック】より
…1919年に入学したスタンフォード大学では生物学(特に海洋生物学)に興味を示したが,モンテレーの生物学者エドワード・リケッツとの親交は〈非目的論的思考〉と自称する基本的思考態度を培い,いわゆる〈生物学的人間観〉や〈集団人(グループ・マン)〉なる認識を定着させた。その内容はリケッツとともに行ったカリフォルニア湾での生物採集記録《コルテスの海》(1941)に詳しいが,人間社会の事象をも善悪の判断や価値観とは無縁の生物界の現象からの類推によってとらえようとするこの態度は,彼の人間観・世界観の根底をなす姿勢であるだけに,作品のすべてに影を投じている。出世作《トティーヤ台地》(1935)は,モンテレー郊外のパイサノと呼ばれる混血の土着民たちの,競争社会から解放された野放図な生活と意見とを,共感のうちにユーモアとペーソスをこめて説話風に描いた佳編だし,連作短編集《天の牧場》(1932)も《知られざる神に》(1933)も,また好評を博した《二十日鼠と人間》(1937)も,激烈な資本主義的闘争の場としての都市の喧騒を遠く離れた農村を舞台に,農民の土に寄せる愛情と信頼を肯定的に描いている。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」