世界大百科事典(旧版)内のコルベイユ条約の言及
【ハイメ[1世]】より
…この後イスラム教徒が反乱を起こしたムルシアでカスティリャ王アルフォンソ10世を支援,また聖地十字軍を志したが果たせなかった。 これよりさき1258年にフランス王ルイ9世とコルベイユ条約を締結,ハイメ1世はラングドックとプロバンスの領有権を,ルイ9世はカタルニャに対する宗主権をそれぞれ放棄する形で長年の領土問題に決着をつけた。国土回復戦争の終了とフランスとの紛争解消によって,アラゴン連合王国はカタルニャを先頭にまもなく地中海進出にかなった態勢を整えていった。…
※「コルベイユ条約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」