世界大百科事典(旧版)内のコンスタンティノープル協定の言及
【第1次世界大戦】より
…これに対して連合国はイギリス海相W.チャーチルの構想により,ロシア軍と直接共同行動をとれることをめざし,ダーダネルス海峡を突破してトルコの首都コンスタンティノープルを占領するという大胆な作戦を発動したが,しかし英仏軍はドイツ・トルコ軍の巧みな反撃を受けて敗退した。そこで次に英仏両国は,露独間に単独講和が成立しロシアが戦線から離脱するという事態の起こるのを避けるため,まず15年3月18日,両海峡地帯の処分に関するコンスタンティノープル協定を結んでロシアの海峡地帯領有の期待にこたえたあと,16年5月16日にはペトログラードでイギリス代表マーク・サイクスとフランス代表ジョルジュ・ピコの名前で知られたサイクス=ピコ協定を結び,アジア・トルコの分割に関する英仏露3国間の了解を密約した。英仏両国はロシアを連合国の一員としてつなぎとめるためこのような密約を締結したが,秘密外交はイタリアに対しても展開された。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」