世界大百科事典(旧版)内のコンスタン・ド・ルベック,B.の言及
【自由主義】より
…これに反してフランス革命の遺産を負ったフランス自由主義は,カトリシズムの教権支配やブルボン正統主義と闘う一方で,ジャコバン主義や革命的民衆運動から自己を絶えず区別する必要に迫られた。コンスタン・ド・ルベックBenjamin Constant de Rebecque(1767‐1830)が土地所有を政治的権利の不可欠の条件となし,F.ギゾーが選挙権の財産制限にあくまで固執したように,フランス自由主義の指導者が概して政治的民主化に消極的であったのは,自国の革命的伝統に対する両義的態度に由来する。1848年の社会的危機がナポレオン3世の人民投票的独裁によって収束された事実は,フランス自由主義の脆弱(ぜいじやく)性を明らかにした。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」