コンパニース・ラント(読み)こんぱにーすらんと

世界大百科事典(旧版)内のコンパニース・ラントの言及

【千島列島】より

… 原住者の系譜は不明な点が多いが,6,7世紀から12,13世紀ごろにはオホーツク文化人が居住し,その後,南部は北海道アイヌ,北部はイテリメン族(カムチャダール)の出稼ぎ地となっていたが,近世までにはアイヌが北上して列島全体の居住者となったとみられている。1643年(寛永20)オランダ東インド会社の航海士M.G.deフリースが太平洋を北上して北海道本島および南千島に達し,択捉島をスターテン・ラント,ウルップ島をコンパニース・ラントと名付けた。 日本では,松前藩が1644年(正保1)に国絵図を作製して江戸幕府に提出し,1700年(元禄13)にも郷帳とともに国絵図を提出しているが,この中で〈クルミセの方〉として島々の名を記している。…

※「コンパニース・ラント」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む