コージンツェフ,G.M.(読み)こーじんつぇふ

世界大百科事典(旧版)内のコージンツェフ,G.M.の言及

【サンクト・ペテルブルグ・ボリショイ・ドラマ劇場】より

…1919年2月15日,ゴーリキー,アンドレーエワMariya Fyodorovna Andreeva(1868‐1953),ブロークらの発意により,シラーの《ドン・カルロス》を音楽院ホールでこけら落しに上演して発足し(1920年から現在の建物で公演),シェークスピア,モリエール,シラー,ユゴー,ゴルドーニを相次いで上演,20年代初頭にはドイツ表現主義の作品を積極的に上演して注目を集めた。やがて《エゴール・ブルイチョフとその他の人びと》(1932),《ドスチガーエフとその他の人びと》(1933),《別荘の人びと》(1939),《敵》(1948)などゴーリキーの一連の作品を上演して,独自の〈顔〉をつくったが,ほかにはコージンツェフGrigorii Mikhailovich Kozintsev(1905‐73)演出の《リア王》(1941)などを除けば話題作にはとぼしかった。56年にトフストノーゴフが主任演出家に就任して以来,生まれ変わり,ソ連有数の劇団になった。…

【ソビエト映画】より


[〈雪どけ〉以後]
 1953年のスターリンの死後における映画界の〈雪どけ〉現象は,チュフライG.N.Chukhrai(1921‐ )監督《女狙撃兵マリュートカ》(1956),《誓いの休暇》(1959),カラトーゾフM.K.Kalatozov(1903‐73)監督《戦争と貞操》(1957),《送られなかった手紙》(1960)などに代表され,主題と形式の分裂や図式化が指摘されたりもしたが,国際的に高く評価された。文芸映画の隆盛も顕著な傾向で,ボンダルチュクS.G.Bondarchuk(1920‐94)監督の四部作《戦争と平和》(1966‐67),ザルヒA.G.Zarkhi(1908‐ )監督《アンナ・カレーニナ》(1968),プイリエフ監督《カラマーゾフの兄弟》(1969),そのほかロシア文学の古典的名作が映画化され,コージンツェフG.M.Kozintsev(1905‐73)監督《ハムレット》(1964),《リア王》(1972)などシェークスピアの古典を〈忠実に〉映画化した作品もある。 帝政や革命を経験した戦前の作家とは世代の異なる新しい監督も登場し,国立映画学校出身のタルコフスキーA.Tarkovskii(1932‐86)監督の処女作《僕の村は戦場だった》(1962)はベネチア映画祭で金獅子賞を受賞し,15世紀ロシアの修道士をリアルに描いた第2作《アンドレイ・ルブリョフ》(1966)は71年まで公開を禁止されたが,第3作《惑星ソラリス》(1972)はカンヌ映画祭で審査員特別賞を受賞した。…

【ドキュメンタリー映画】より

… イギリスでは,情報省の支配下で,ハリー・ワットの《今夜の目標》(1941),ロイ・ボールティングの《砂漠の勝利》(1943),キャロル・リードとガースン・ケニン編集による英米合作の《真の栄光》(1945)などがつくられた。 ソビエトでは,プドフキン,アレクサンドル・ドブジェンコ(1894‐1956)をはじめ一流監督が戦時ドキュメンタリー製作のために動員され,ナチの侵入後まもなく多くのエピソードからなる《戦闘映画選集》が始まり,セルゲイ・ゲラーシモフ(1906‐72),グリゴリー・コージンツェフ(1905‐73),セルゲイ・ユトケビチ(1904‐85)などの〈戦線映画特集〉が41年11月から42年の終わりまで公開された。また,ロマン・カルメーンの《戦うレニングラード》(1942),レオニード・ワルラーモフの《スターリングラード》(1943)というニュース映画を編集したもの2本と,ドブジェンコの《ウクライナの勝利》(1943‐45)のような長編ドキュメンタリーもつくられた。…

※「コージンツェフ,G.M.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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