ゴベルナドール(読み)ごべるなどーる

世界大百科事典(旧版)内のゴベルナドールの言及

【リオ・デ・ジャネイロ】より

…花コウ岩や結晶片麻岩の大岩塊が諸所に突出し,浸食や風化によって奇怪な山容を呈するパン・デ・アスーカル,コルコバードなどの岩山と対照的に,グアナバラ湾は面積400km2,周囲143kmの大きな入江で,1502年1月1日最初に発見したポルトガル人は川と誤認し,リオ・デ・ジャネイロ(1月の川)と名づけた。国際空港をもつ面積30km2のゴベルナドール島,観光地パケター島をはじめ113の島が湾内にある。出口近くに近年リオ・ニテロイ橋がつくられた。…

【カピタニア制】より

…15世紀に発見された大西洋のマデイラ,アゾレス,カボ・ベルデ諸島などにまず適用され,ブラジル発見(1500)の後は,1504年フェルナンド・ノロニャにサン・ジョアン島を与えたのが最初の例である。34年から36年にかけて,ブラジル植民地は15の世襲カピタニアcapitaniaに分割され,12人のドナタリオdonatárioまたはゴベルナドールgovernadorと呼ばれる世襲領主に与えられた。領主は,領域内で王権を背景に民事および刑事裁判権をもち,法律を制定し,海岸と可航河川沿いに町vilaを建設し,聴訴官ouvidor,公証人,司法職員を任命する権利をもち,王の土地を入植者に無料分譲(セズマリアsesmaria)する義務を負った。…

【副王制】より

…構成各国が独自の体制を維持しつつ,ひとつの王権を共有するという特異な連邦国家を形成したアラゴン連合王国の統治制度。16世紀以降インディアスでも施行された。1137年,イベリア半島東部アラゴン王国の王女ペトロニーラとカタルニャ伯ラモン・ベレンゲール4世が結婚,これによって以後両国は〈アラゴン連合王国〉と呼ばれる連邦国家となった。しかし,連邦の絆となったのは共通の王権だけであって,政治的独立や法律あるいは行政制度はまったく従来のままに残された。…

※「ゴベルナドール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

ローマ法王ともいう。ラテン語 Papaの称号はカトリック教会首長としてのローマ司教 (教皇) 以外の司教らにも適用されていたが,1073年以後教皇専用となった。使徒ペテロの後継者としてキリスト自身の定...

教皇の用語解説を読む