教皇(読み)きょうこう(英語表記)Papa; pope

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  • 教皇 Pope

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ローマ法王ともいう。ラテン語 Papaの称号カトリック教会首長としてのローマ司教 (教皇) 以外の司教らにも適用されていたが,1073年以後教皇専用となった。使徒ペテロの後継者としてキリスト自身の定めた地上におけるキリストの代理者,可見的教会の首長であり,教導,祭祀司牧の最高権威者 (→教皇の首位権 ) 。首位権に基づいて教皇が信仰道徳の問題で教義決定をする際には無謬である (→教皇不謬性 ) といわれる。しかし,東方正教会はローマ教皇に全キリスト教を代表する地位を認めるが,他教会に対する首位権,不謬性を認めていない。プロテスタント諸教会も教皇に関するカトリック教会の主張を否定している。それにもかかわらず教皇のキリスト教全体に対する影響は決して小さくない。カトリック教会の長として教皇は国家との間に政教条約を結ぶ権利をもち,1929年のイタリアとのラテラノ条約バチカン市国元首となった。

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百科事典マイペディアの解説

ローマ・カトリック教会の首長。〈ローマ教皇〉〈ローマ法王〉〈法王〉ともいい,英語ではPope,Supreme Pontiff。地上における〈キリストの代理者〉,〈ペテロの後継者〉とされ,首位権,全教会に対する最高の裁治権をもつ。バチカン市国元首。現教皇はフランシスコ1世で,ベネディクトゥス(ベネディクト)16世(即位2005年)が2013年2月,716年ぶりとなる生前退位を選んだことにともない選出された。新教皇は,枢機卿団による選挙会議(コンクラーベ)で選ばれる。→ローマ・カトリック教会
→関連項目キリスト教司教宗教改革ペテロロズミーニ・セルバーティ

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世界大百科事典 第2版の解説

〈ローマ教皇〉〈ローマ法王〉ともいい,単に〈法王〉と記すこともある。ローマ司教,イエス・キリストの代理者,使徒ペテロの後継者,全カトリック教会の最高司祭,西欧総大司教,イタリア首座大司教,ローマ管区首都大司教,バチカン市国元首。パパPapaという親称は,本来ギリシア語のパパスpapas(〈父〉の意)に由来し,東方世界において修道院長,主教,総主教に対して使われていた。ローマでは初めてローマ司教リベリウスLiberius(在位352‐366,以下同)の墓碑に記され,レオ1世Leo I(440‐461)あての東方教会からの手紙にはしばしば現れる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ローマ・カトリック教会の首長、バチカン市国元首。法王ともいう。教皇の帯びる諸種の称号のうち、「ローマ司教」「イエス・キリストの代理者」「使徒の頭(かしら)の後継者」「全カトリック教会の首長」の四つが、教皇権の起源と本質を物語る。すなわち、教会の創立者キリストは「使徒の頭」ペテロ(ペトルス)を自分の代理者(「キリストの代理者」)とすることにより、自らが世を去ったのち教会を導く権能を与え、この権能は、ペテロのローマでの殉教ののち、その「後継者」である「ローマ司教」に代々受け継がれた。したがって、ローマ司教である教皇は、教会の歴史を通じて「全カトリック教会の首長」の座にあったとされる。教皇はまた「バチカン市国元首」としては一国の元首の地位にあり、いずれの国家にも属さない立場をとることにより、精神的独立性を確保している。

 教皇の首位権の起源の根拠としては、聖書の「あなたはペトルス(ペテロ)である。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。……わたしはあなたに天国の鍵(かぎ)を与えよう……」との箇所(「マタイ伝福音(ふくいん)書」16章18~19)、およびキリストがペテロに「わたしの羊を牧せよ」と3回繰り返し命じた箇所(「ヨハネ伝福音書」21章16~17)があげられる。

 教皇の選出は、前教皇没後15日以内に招集される選挙会(コンクラーベconclave)において行われる。選挙権は枢機卿(すうききょう)のみが有し、3分の2以上の多数票を得た人物が就任を受諾すると、ただちに新教皇名が決定、公示される。新教皇の着座式は選挙直後の日曜日または祝日に挙行される。

[梅津尚志 2017年8月21日]

歴史

教皇の首位権は実際には教会史の流れのなかで徐々に全教会的に承認されるようになったのであるが、すでに3世紀にはローマ司教は「ペテロの座」Cathedra Petriと称されており、4世紀以降はローマ司教のみが「パパ」Papaとよばれるようになった。キリスト教ローマ帝国の時代には、教皇権が皇帝権の強い干渉を受ける面もみられたが、異端を排除しつつ教義を確立するという課題は、概して教皇側の主導権のもとに解決され、それを通じてローマの首位権が広く承認されるようになった。

 中世になると、教皇権はビザンティン(東ローマ)側と疎遠になる一方で、新生フランク王権と結び付くことによって地歩を固め、宗教的、文化的、政治的指導者としての立場にたつようになった。とくに11~12世紀の「グレゴリウス改革」を通して、教皇は世俗権からの独立性を獲得するとともに、教会の中央統治機構としての教皇庁を整備し、全教会にわたる指導権を高めた。また、当時の封建的諸勢力の併存・対立の状況のなかで、場合によっては政治世界にも大きな影響力を及ぼした。そこに、インノケンティウス3世らに代表される中世教皇権の隆盛期が現出した。

 中世末期に至ると、フランス王権を代表とする世俗権力の強大化によって教皇権は相対的に弱まり、さらにシスマ(教会大分裂、1378~1417)の結果、教皇首位権への信頼は揺らぎ、教皇よりも公会議全体の決定を上位に置く公会議首位説(公会議至上主義)が強まった。「教会の頭と肢体の改革」が叫ばれながらも、改革の実をあげられなかった教皇権は、ルターに始まる宗教改革に対しても当初は有効な措置を講ずることはできなかった。教皇の主導下に開かれたトリエント公会議(トレント公会議、1545~1563)による態勢の立て直し、また、とくに教皇に忠誠を誓うイエズス会の活躍などにより、カトリック側は失地回復に努めたが、ヨーロッパ・キリスト教世界を教皇のもとに再統合することはできなかった。

 ヨーロッパの近代化が進むにしたがって、近代的政治体制、諸思想に直面して教会は守勢にたたされ、従来教皇が保持していた諸特権も否定されていった。19世紀後半の第一バチカン公会議(1869~1870)は、時代思潮に対してカトリック教会の立場を明確にし、また教皇の不可謬(ふかびゅう)性を宣言して、近代世界に対する積極的態度を示した。しかし、公会議中に、国家統一の完成を目ざすイタリアによりローマが占領され、教皇領のすべてを奪われた。教皇は伝統的に保持してきた世俗権力を失い、イタリア政府と対立した(いわゆる「ローマ問題」)。

[梅津尚志 2017年8月21日]

現代世界と教皇

世俗権力を失ったなかで、教皇はカトリック教会の首長として、宗教的な指導者の立場から、世界が直面する社会正義や平和問題について広く世界に訴えるようになった。レオ13世は1891年の回勅「レールム・ノバールム」で労働者の人間性尊重を強く訴え、また、帝国主義時代の激しい国際対立のなかで世界平和のための国際連盟の必要性を世界に先駆けて説いた。しかし、教皇の願いもむなしく、世界は二度の世界大戦に突入した。その間、1929年にはピウス11世はイタリア政府とラテラノ条約(ラテラン協定)を締結して「ローマ問題」を解決し、その結果としてバチカン市国が成立した。教皇はバチカン市国という一国の元首となり、カトリック教会の首長としての自由と独立を確保することになった。

 20世紀の後半、教皇権は大きな転機を迎えた。ヨハネス23世は第二バチカン公会議(1962~1965)を招集して、「現代化」(アジョルナメント)による教会の自己革新に努める一方、回勅「マーテル・エト・マジストラ」において富の不均衡の克服を訴え、また「パーチェム・イン・テリス」(地上に平和を)においては、力の均衡によってではなく、対話を通しての相互信頼によって国際平和を実現すべきことを説いた。パウルス6世(パウロ6世)の国際連合での平和の演説(1965)も、その路線を継ぐものであった。1978年に教皇座についたヨハネ・パウロ2世(ヨハネス・パウルス2世)はさらに精力的に世界各地を歴訪、1981年2月には教皇として史上初めて日本を訪れ、広島で平和アピールを発するなど、全世界に平和と正義の実現を呼びかけた。とくにポーランド出身の教皇が、社会主義体制の母国を1979年に訪問して信教の自由や冷戦の克服を訴え、さらに1980年に成立したポーランド自主管理労組「連帯」への支持を表明したことは、その後の社会主義陣営の動揺と冷戦構造の崩壊の契機となった。1989年にはポーランドの「連帯」が政権を獲得し、ベルリンの壁が崩壊し、一連の東欧革命が起こったが、同年、ペレストロイカ(改革)を掲げるゴルバチョフはソ連共産党書記長として初めてバチカンを訪問して教皇と会談した。その2年後にソ連は崩壊した。教皇は1998年1月にはキューバを訪問して国家評議会議長カストロと会談し、「聖年」にあたる2000年3月には諸宗教・諸民族間の「ゆるしと和解」を旨とする聖地巡礼を行った。2001年5月にはキリスト教会が東西に分裂(1054)して以来、初めてギリシアを訪問した。

[梅津尚志 2017年8月21日]

『W・ドルメッソン著、橋口倫介訳『教皇』(1959・ドン・ボスコ社)』『K・v・アーレティン著、沢田昭夫訳『カトリシズム 教皇と近代世界』(1973・平凡社)』『鈴木宣明著『ローマ教皇史』(1980・教育社)』『上智学院新カトリック大事典編纂委員会編『新カトリック大事典』全4巻(1996~ ・研究社)』『ウゴー・コロンボ・サッコ著、保岡孝顕訳『教皇ヨハネ・パウロ2世と世界政治』(1998・聖母の騎士社)』『竹下節子著『ローマ法王』(1998・筑摩書房)』『F・G・マックスウェル・スチュアート著、月森左知・菅沼裕乃訳『ローマ教皇歴代史』(1999・創元社)』『マシュー・バンソン著、長崎恵子・長崎麻子訳『ローマ教皇事典』(2000・三交社)』


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精選版 日本国語大辞典の解説

〘名〙 ローマ‐カトリック教会の首長。法王。きょうこう。
※米欧回覧実記(1877)〈久米邦武〉四「四十六歳にて教大長になり、歳を越て『カルシナル』 教王選挙宮 に陞り、一千八百四十六年に教王に選挙されたり」
〘名〙 ローマ‐カトリック教会の最高位の聖職。ローマ教皇。法王。〔現代術語辞典(1931)〕

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旺文社世界史事典 三訂版の解説

ローマ−カトリック教会の首長,ヴァチカン市国元首
キリスト教が広まるにつれて教会もしだいに形を整え,ローマの行政組織にならって教会管区制度が採用され,5つの総大司教が設けられた。なかでもローマの司教は,イエスの復活を説いてカトリックの基礎を築いた使徒ペテロの後継者とみなされ,4世紀ごろから宗教的権威を高めて,特に教皇と呼ばれた。8世紀中ごろカロリング朝を創立したピピンより教皇領寄進を受け,世俗的君主の観を呈し,教皇権伸張,13世紀には全盛期に達して,教皇の威令は諸国王をしのいだ。近代初期における主権国家の形成やプロテスタンティズムの成立とともに,その世俗的権威は著しく弱められ,1870年教皇領はイタリア王国に吸収された。1929年のラテラン条約でヴァチカン市国が成立し,教皇はその元首として現在に至っている。

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世界大百科事典内の教皇の言及

【教皇権】より

…使徒ペテロの後継者・ローマ司教としての教皇がもつ,ローマ・カトリック教会内の最高司牧権。カトリックの教理によれば,ペテロがキリストから,使徒団の中で特別の使命と権限を受けたことは,3テキスト(《マタイによる福音書》16:13~19,《ルカによる福音書》22:31~32,《ヨハネによる福音書》21:15~17)の総合的理解から証明される。…

【主教】より

…ローマ帝国の首都および属州の主都の主教は,他の主教にも管轄を及ぼすことからメトロポリテスmētropolitēs(府主教,首都大司教)と呼ばれた。さらに一国またはそれに準ずる地域の教会の最高責任者としてパトリアルケスpatriarchēs(総主教,ローマ教会は教皇の名称を用いた)が設けられた。しかし,これらは主教としては同等の資格である。…

【バチカン[市国]】より

…正式名称=バチカン市国Stato della Città del Vaticano面積=0.44km2人口(1994)=1000人日本との時差=-8時間主要言語=イタリア語,ラテン語通貨=リラLira(イタリアと共通)ローマ市のテベレ川右岸にあるローマ教皇を元首とする世界最小の国家。1929年2月のラテラノ協定に基づき,カトリック教会の首長たるローマ教皇が国際法上の主権と領土的基盤をもつことを認められて成立した。…

【ポンティフェクス・マクシムス】より

…宗教的手続の不備を理由に民会決議(立法,選挙)の無効を宣し,政治的影響力も有した。帝政期にはアウグストゥス以下,元首が終身在任したが,4世紀後半,グラティアヌスが慣行を捨て,5世紀からローマ教皇がポンティフェクスを称した。【鈴木 一州】。…

※「教皇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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