世界大百科事典(旧版)内のサトゥルナリアの言及
【カーニバル】より
…〈謝肉祭〉と邦訳される。カーニバルの起源は,現世を支配する社会機構からの解放と農神サトゥルヌスの黄金時代への回帰を実現する,ローマ時代の農神祭サトゥルナリアのような先キリスト教文化の農耕儀礼にたどることができる。季節の循環と神話を豊饒儀礼として祭式化したサトゥルナリアの精神は,中世,ルネサンス期のヨーロッパ民衆文化に受け継がれ,復活祭(イースター)の40日前から,荒野で修行したキリストをしのんで,おもに獣肉を断ち懺悔を行う四旬節が始まるが,それに先立つ3~7日間,飽食と笑いの祝祭として,教会暦のなかに非公式的に定着した。…
【クリスマス】より
…その日は〈征服されることなき太陽の誕生日〉として,3~4世紀のローマに普及していたミトラス教の重要な祭日であった。12月17日から24日まではサトゥルナリアと呼ばれる農耕神サトゥルヌスの祭が行われていた。この期間,家々にはあかあかと火がともされ,常緑樹が飾られた。…
【サトゥルヌス】より
…ここにはローマの国庫が置かれたほか,法文や元老院決議が保管されるなど,政治的にもきわめて重要な神殿であった。またその祭儀はサトゥルナリアSaturnaliaと呼ばれ,12月17日から7日間,奴隷にも特別の自由が与えられて,楽しく陽気に祝われた。この祭りの間に人々はろうそくや小さな人形を贈物として交換したが,この風習はのちにキリスト教のクリスマスに受け継がれた。…
【セイヨウヒイラギ】より
…アーサー王伝説に語られる緑の騎士はこの木を象徴するといわれる。一方,古代ローマにおいてはサトゥルナリア(サトゥルヌスの祭日)にこの木を供え犠牲のロバを殺した。クリスマスにセイヨウヒイラギの緑の葉と赤い実を飾る習慣は,この祭式がキリスト教に採り入れられて生じたといわれる。…
【ローマ】より
… 市民生活のあらゆる面において宗教儀式は重要な役割を果たした。農耕に結びつく国家的な祭典(ルペルカリア,サトゥルナリアなど)が数多くあり,一年の暦はそれら祭りや禁忌によって民会や裁判の開廷できぬ日を定めていた。民会も元老院も神意をうかがったうえでなくては開会しなかった。…
※「サトゥルナリア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」