サハラ美術(読み)さはらびじゅつ

世界大百科事典(旧版)内のサハラ美術の言及

【サハラ砂漠】より

…また16世紀以後は北アフリカに進出したオスマン・トルコを通じて,西アジアとサハラ以南のアフリカの交流にサハラ砂漠は大きな役割を果たした。【川田 順造】
[サハラの岩面画]
 サハラ砂漠の山岳地帯には岩面彩画・刻画が広く分布し,〈サハラ美術Saharian art〉とも呼ばれる。これらはタッシリ・ナジェール,ホガールHoggar,南オラン(以上,アルジェリア),アドラール・デジフォラス(マリ),アイールAïr(ニジェール),ティベスティ山地エネディ(以上,チャド),フェッザーン(リビア),アドラール・ド・モーリタニー・エ・ストゥーフAdrar de Mauritanie et Stouf(モーリタニア),南モロッコの各地に遺存する。…

※「サハラ美術」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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