世界大百科事典(旧版)内のサフチェンコ,I.の言及
【ドキュメンタリー映画】より
…あらゆる映画は戦争遂行のためにのみつくられた〉(野田真吉《日本ドキュメンタリー映画全史》)。
[戦後のドキュメンタリー]
戦中から戦後にかけての一つの特色ある映画現象は,〈ドキュメンタリー〉と〈劇映画〉が接近して交錯し,たとえばアメリカでは〈セミ・ドキュメンタリー(映画)〉と呼ばれる一群の作品が,また,ソビエトではマルク・ドンスコイ監督《戦火の大地》(1943)やレオ・アルンシタム監督《ゾーヤ》(1944)からフリードリヒ・エルムレル監督《大いなる転換》(1945)をへて,イーゴリ・サフチェンコ監督《第三の襲撃》(1948),ウラジーミル・ペトロフ監督《スターリングラードの戦い》(1949),ミハイル・チアウレリ監督《ベルリン陥落》(1950)に至って〈ドキュメンタリー・ドラマ映画〉と呼ばれた作品群が,また,イタリアでは〈ネオレアリズモ〉と呼ばれる傾向の作品がつくられたことである。このドキュメンタリーの手法による劇映画の傾向は,その後も各国で多様化しつつ進展し,ポーランドではアンジェイ・ムンク,イェジー・カワレロビッチ,アンジェイ・ワイダらの〈ポーランド派〉(ポーランド映画),イギリスではトニー・リチャードソン,カレル・ライス,リンゼー・アンダーソンらの〈フリー・シネマ〉,フランスではジャン・ルーシュ,クリス・マルケルらの〈シネマ・ベリテ〉,あるいはまたジャン・リュック・ゴダール,フランソワ・トリュフォーらの〈ヌーベル・バーグ〉,アメリカではライオネル・ロゴーシン,アルバート・メイスルズ,リチャード・リーコックらの〈ダイレクト・シネマ〉が生まれ,その後の各国の映画に大きな影響をあたえることとなった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」