世界大百科事典(旧版)内のサラーフ・ビタールの言及
【シリア】より
… 一方,30年代から40年代にかけて,インテリ,青年,学生を中心とする民族主義者の運動が出現し新しい政党へと発展した。その代表は,宗教と国家を分離しシリア主義を唱えファシズムに影響されたサアーダの率いるシリア民族主義党(PPS)と,アラブの統一を基本命題としミシェル・アフラク,サラーフ・ビタールの率いるバース党である。また,イスラム教徒のムスリム同胞団や,クルドやキリスト教徒などに支持を得た共産党も活動を展開していた。…
【バース党】より
…1940年代初期のシリアのアラブ民族主義運動の組織を母体とする。それは,パリに留学し帰国後教員となったミシェル・アフラクやサラーフ・ビタールSalāḥ al‐Dīn al‐Biṭār(1912‐80),イスケンデルン出身のザキー・アルアルスージーZakī al‐Arsūzī(1900‐68)らが中心となって結成された。彼らは民族的独立を目的とした従来のアラブ・ナショナリズムに対しさらに急進的な社会的闘争の目標を掲げた。…
※「サラーフ・ビタール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」