サリ・プルの戦(読み)さりぷるのたたかい

世界大百科事典(旧版)内のサリ・プルの戦の言及

【バーブル】より

…97年サマルカンドに入城して,ティムール朝サマルカンド政権の君主の位に就くが,フェルガナ地方における内乱のため,わずか100日でサマルカンドを放棄。99年アンディジャーンの奪回に成功,1500年にはウズベクのシャイバーニー・ハーンの手から再びサマルカンドを奪取したが,翌年シャイバーニー・ハーンにサリ・プルの戦で敗北,中央アジアでの活躍の場を失い,幾多の艱難辛苦の後,アフガニスタンに転身して,04年カーブルを征服。次いでこの地を本拠に,11年三たびサマルカンドをウズベクの手から奪還したが,翌12年ウズベクのウバイド・アッラーフ・ハーンに敗れ,以後中央アジアでの活動の道をまったく閉ざされた。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」