世界大百科事典(旧版)内のサーニー家の言及
【カタル】より
…19世紀中ごろまでカタルを支配していたのはバーレーンのハリーファ家であったが,1868年カタル土着の名家の要請により,イギリスがハリーファ家の支配に終止符を打った。これによりカタルの独立とサーニー家による統治が確立した。 カタルは1871年にはオスマン朝の支配を受け入れ,カーイムマカーム(総督)の地位を与えられる。…
【ペルシア湾】より
… 18世紀末になるとオランダ,イギリスの両東インド会社が握っていたペルシア湾の制海権にかげりがみえはじめる。湾岸各地に拠る首長,とくにクウェートのサバーフ家,バーレーンのハリーファ家,カタルのサーニー家などが台頭してきて,この湾を航行する商船に対して盛んに海賊行為を働いた。また彼らは奴隷貿易にも熱心であった。…
※「サーニー家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」