《ザ・ラ・モール》(読み)ざらもーる

世界大百科事典(旧版)内の《ザ・ラ・モール》の言及

【イタリア映画】より

…彼女たちの出演料が高すぎて,その結果,製作費がかさみすぎ,プロデューサーたちは自分たちが作り上げた〈女神〉のために次々に破産していったというのが実情だといわれる。
[第1次大戦とイタリア映画]
 エミリオ・ギオーネ監督・主演の連続活劇《ザ・ラ・モール》(1915‐22)などのヒットが,その後一時イタリア映画を救うかに見えたが,1915年,第1次大戦にイタリアが参戦するにおよんで,事態は決定的に悪化し,世界の映画市場をドイツ映画とアメリカ映画に奪われ(新興ハリウッドは1916年から17年にかけて,西部劇と喜劇によって,たちまちのうちにヨーロッパを,そして世界を制覇してしまう),さらに誇張された情熱と姦通(かんつう)を描いた社交界ドラマは,アメリカやイギリスのピューリタニズムに合わず,無理解と倫理規定に行き当たって,結局,アングロ・サクソン諸国の映画市場からは締出しを食うことになった。〈ディーバ〉たちも20年代に入るとすっかりスクリーンから姿を消し,史劇映画ブームを築いた監督たち,ピエロ・フォスコやルイジ・マッジも早々と引退することになる。…

※「《ザ・ラ・モール》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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