世界大百科事典(旧版)内のシカンダル・ローディーの言及
【アーグラ】より
…人口89万2000(1991)。16世紀初頭にイスラム教徒でデリーに都したシカンダル・ローディーSikandar Lodīの支配地に入り,この地方の政治・経済の中心地として発達した。ローディー朝を倒したムガル帝国の3代目アクバル帝が,1564‐75年の間にアーグラ城を建設した。…
【ローディー朝】より
…他の王朝がトルコ系であるのに対して,この王朝はアフガン系である。バフルール・ローディーBahlūl Lodī(在位1451‐89),シカンダル・ローディーSikandar Lodī(在位1489‐1517),イブラーヒーム・ローディーIbrāhīm Lodī(在位1517‐26)の3代75年間で王朝は滅びたが,パーニーパットの戦でこの王朝を破ったムガル帝国との関連では,デリー・サルタナットのムスリム支配を継承する重要な役割をもっている。トルコ系王朝の支配とはちがって,アフガン系大貴族による連合政権的色彩が強いといわれている。…
※「シカンダル・ローディー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」