世界大百科事典(旧版)内のシスター映画の言及
【プログラム・ピクチャー】より
… 日本映画の場合は〈抱合せ〉という形で,戦前から,現代劇1本と時代劇1本の番組,旧作との〈併映〉,他社作品との〈混映〉,あるいは〈第二部〉と呼ばれた低コストの作品を〈添えもの〉にする方式などがあったが,田中純一郎(《日本映画発達史》)によれば,戦後,〈映画館の乱立乱戦と既封切映画のダンピングによって〉娯楽に飢えていた終戦当時の〈フィルム飢饉〉が昔語りとなった1950年ころから,〈観客へのサービスと称する2本立て興行〉が目だち始めた。そして東映が新作2本立て番組(初期の添えもの作品はスポーツ,歌,ストリップ,スター訪問などの記録映画が多く,洋画の短編との〈抱合せ〉などもあった)によって市場拡大に成功し,しだいに〈市場性確保を建前とする新作2本立て制度〉が一般化し,松竹がまず上映時間40~50分程度の中編作品の製作に乗り出し,これを〈シスター映画〉と呼んだ。社長の城戸四郎の命名による〈姉妹編〉を意味する和製英語sister picture(最初はshort pictureとも呼んだ)がその語源で,略してSPともいい,添えもの映画の代名詞として使われるようになった。…
※「シスター映画」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」