世界大百科事典(旧版)内のシュフタン,E.の言及
【シオドマク】より
…舞台の俳優,演出家,プロデューサーから,1925年,アメリカ映画のドイツ語版の字幕制作者としてウーファ社に入り,助監督,編集者,脚本家を経て,29年,記録映画の手法による実験的な長編《日曜日の人々》をエドガー・ウルマー(1904‐72)と共同監督。脚本に協力したビリー・ワイルダー,撮影に協力したオイゲン・シュフタン(1893‐1977)とフレッド・ジンネマンの映画界における出発点となった作品でもある。その後,もっぱら〈サスペンス・スリラー〉をつくるが,ユダヤ人であるために《激情の嵐》(1932)が不健全であるとゲッベルスに弾劾され,ナチスが政権を握った33年,フリッツ・ラングなどのユダヤ人芸術家と同じようにパリへ逃れ,《フロウ氏の犯罪》(1935)など数本のフランス映画を撮った。…
【ハスラー】より
…その手法は戦後アメリカの〈社会的リアリズム〉として評価された。〈シュフタン・プロセス〉という鏡を使ったトリック撮影方式の発案者として知られるドイツ人のカメラマン,オイゲン・シュフタンEugene Schufftan(1893‐1977)がこの作品でアカデミー白黒撮影賞を受賞。また主要各部門と並んで助演男優賞にノミネートされたジョージ・C.スコットGeorge C.Scottが,アカデミー賞のありかたを批判して話題になったが,その後スコットは70年の《パットン大戦車軍団》の主演男優賞の受賞も拒否している。…
【メトロポリス】より
…1924年にアメリカを訪れたラングが,ニューヨーク港の船上からマンハッタンの摩天楼を望見してアイデアを得たという21世紀の未来都市の物語である。700万マルクともいわれるドイツ映画空前の巨費を投じ,2年がかりで完成された4時間を超える超大作で,撮影所のステージのなかに摩天楼や地下工場などを設計したオットー・フンテの表現主義的なセットの造型技術と,レンズのわきに鏡を備えつけてミニチュアを拡大し,実物とセットを合成したオイゲン・シュフタンの特殊撮影技術(〈シュフタン・プロセス〉と呼ばれた)が評判になったが,最後に独占資本家と労働者の代表が和解して握手するという労資協調をうたう主題は,〈図式的なスペクタクル〉〈映画技法的には比類なき成功作だが人間的見地からは恐るべき無知を暴露した駄作〉(ジークフリート・クラカウアー)と批判された。イギリスとアメリカでは5巻分がカットされたプリントが公開され,H.G.ウェルズは〈愚劣きわまる〉と酷評している(それに対し,コナン・ドイルはこの映画に熱狂したと伝えられる)。…
※「シュフタン,E.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」