世界大百科事典(旧版)内のシュルツェ,W.の言及
【手術】より
…明治になるや政府は軍事病院(東京府大病院)と幕府時代の医学所とを合わせて医学校兼病院(のちに大学東校と改称)としたが,これが東京大学医学部の前身である。医学校兼病院長であったW.ウィリスはイギリス人であるが,その後(1869年,明治2年6月)ドイツ医学採用の政府決定により,ドイツ人のミュラーL.Müller,シュルツェW.Schultze,J.スクリバの順に大学東校(または東大医学部)教師として外科の講座を担当した。こうして明治以来,日本の医学はドイツ医学の影響を強く受けてきたが,第2次大戦後はアメリカ医学の影響下に置かれ,外科も例外ではなかった。…
※「シュルツェ,W.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」