世界大百科事典(旧版)内のシンソーブの言及
【ダンマゼーディー】より
…パーリ語の称号はラーマディパティ。アバ朝の都アバで出家生活を送っていたが,ティーハトゥ,モーニンなどアバ朝の歴代国王の妃として人質生活を送っていたペグー朝のラーザダリ王の娘シンソーブShinsawbuに頼まれて逃亡の手引きをし,内僚比丘のダンマニャーナとともにペグーへ脱出した。ビンニャチャンドーという名でペグー朝の女王に即位したシンソーブが7年後引退すると,請われて還俗,シンソーブの王女と結婚して1459年即位した。…
【ペグー朝】より
…これは下ビルマの行政単位として19世紀初頭まで機能し続けた。下ビルマのペグー朝と上ビルマのアバ朝とは14世紀末から15世紀初頭にかけて激闘を繰り広げたが,ペグーの勢力は15世紀の中ごろ弱体化し,ラーザダリの王女シンソーブShinsawbuは,アバ王の下で人質生活を送った。アバを脱出してペグーに逃げ帰った彼女は,1452年ペグーの女王に即位した。…
※「シンソーブ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」