シンビュシン(読み)しんびゅしん

世界大百科事典(旧版)内のシンビュシンの言及

【コンバウン朝】より

…58年マニプルを隷属させ,60年にはアユタヤ攻略に乗り出したが失敗,撤退の途中没した。後を継いだ長子ナウンドージーは3年後に死去,その後即位した弟シンビュシンが64年にアユタヤ攻略を再開,4年にわたる包囲攻城の末,67年3月ついにこれを陥れた。しかしアユタヤ遠征中の65年から69年にかけて,ビルマは4度も清軍の侵攻を被った。…

※「シンビュシン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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