ジェマル・パシャ(読み)じぇまるぱしゃ

世界大百科事典(旧版)内のジェマル・パシャの言及

【青年トルコ】より

…08年ニヤージNiyazi(1873‐1912)らの若手将校の武装蜂起を契機として,憲法の復活を一方的に宣言,スルタンはこれを追認し第2次立憲体制期に入った。中央集権派が国会議員を独占したが,09年イスタンブールでの兵士の反乱(3月31日事件)により一時勢力を後退させ,反乱鎮圧により勢力を増大,13年クーデタにより政権を握り,エンウェル・パシャ,タラート・パシャTalāt Paşa(1874‐1921),ジェマル・パシャCemal Paşa(1873‐1922)の三頭政治を行った。革命政権は,オスマン帝国としての立場を強調するオスマン主義から,しだいにトゥラン主義の影響をうけてトルコ・ナショナリズムの立場を強め,これは非トルコ系諸民族の抑圧につながった。…

※「ジェマル・パシャ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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