世界大百科事典(旧版)内のジャンガレアッツオ・ビスコンティの言及
【トスカナ[州]】より
…1340年代におけるバルディ家,ペルッツィ家などの有力な国際的金融業者の破産,48‐49年の黒死病(ペスト),78年の〈チョンピの乱〉などによる混乱もフィレンツェの優位をゆるがすことはなかった。北イタリアを統一し,さらに中部イタリアを征服しようとしたミラノ公ジャンガレアッツオ・ビスコンティの野望も,彼の急死によって挫折した(1402)。1406年のピサ併合によりフィレンツェの支配はトスカナのほぼ全域に及び,ルッカとシエナが独立しているだけとなった。…
※「ジャンガレアッツオ・ビスコンティ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」