《ジュルナル・ド・ランピール》(読み)じゅるなるどらんぴーる

世界大百科事典(旧版)内の《ジュルナル・ド・ランピール》の言及

【言論統制】より

…しかし市民革命に対する反革命が行われ,あるいは貴族・地主ら保守階級が優勢だった国ではなお強い言論統制が続いた。フランスでは大革命の反逆児ナポレオンの言論統制はことに激しく,1800年にまず政論紙を13に制限し,新しい新聞の発行を禁止し,皇帝となった04年には共和派の新聞《ジュルナル・デ・デバ》に特別事前検閲を科し,題号を《ジュルナル・ド・ランピール(帝国新聞)》と変更させ,11年にはこれを国有にし,同時に地方新聞に1県1紙の新聞統合を行った。フランスの言論の自由はパリ・コミューンを経て第三共和政成立後,81年〈新聞の自由に関する法律〉が公布されてはじめて実現した。…

【ジュルナル・デ・デバ】より

…はじめは国民憲法議会での論争を報じる新聞だったが,99年にベルタン兄弟が買収してからは,政治と文学の両方に強い有力紙となった。ナポレオンは,デバという言葉を忌んで,1805年7月16日《ジュルナル・ド・ランピールJournal de l’Empire(帝国新聞)》と改称させ,全面的に財政援助をして御用新聞にしたが,ナポレオンの失脚後はもとの題号に戻った。14年の王政復古後はルイ18世を支持したが,シャルル10世になると議会主義の立場に立つなど,政治的には動揺をくり返し,第三共和政になってからは共和派保守層を代弁した。…

※「《ジュルナル・ド・ランピール》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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