世界大百科事典(旧版)内のスクリーン・ジェムズの言及
【コロムビア映画[会社]】より
…1948年5月,新しい独占禁止法によって各映画会社は興行部門を切り離されて打撃を受けたが,逆に,劇場網をもたないコロムビアは危機をまぬがれた。また,50年代に映画がテレビの脅威にさらされるや,いちはやくテレビとの共存を考慮,51年には子会社スクリーン・ジェムズを設立して,古い映画をテレビに流し,その利益で他社にさきがけてテレビ映画の製作を始めた。同時に,独立製作者を積極的に支援して《地上より永遠に》(1953),《戦場にかける橋》(1957)などを製作,ハリー・コーンの後継者エイブ・シュナイダー(1958‐63年,社長兼製作本部長を兼任)が《アラビアのロレンス》(1962),《わが命つきるとも》(1966)などを製作して次々にアカデミー作品賞を獲得,〈一流会社〉の地位を固めた。…
※「スクリーン・ジェムズ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」