スター・フィルム(読み)すたーふぃるむ

世界大百科事典(旧版)内のスター・フィルムの言及

【映画】より

…初めて1人ではない多数の観客にいっぺんに見せる映画の興行がこうしてスタートしたわけである。この直後に奇術師として知られたジョルジュ・メリエスが,シネマトグラフの権利の譲渡をリュミエールに申し込んだが断られ(その後シャルル・パテーに買い取られることになるのだが),やむをえずイギリスのR.ポール(エジソンのキネトスコープを改良した映写装置を1896年に発明していた)から映写装置を買い取り,世界最初のプロダクション〈スター・フィルムStar Film〉を作ってみずから映画を作り始めた。96年4月23日に,アメリカでもスクリーンに映写するエジソンのバイタスコープが,リュミエールのシネマトグラフを追いかけたかっこうで公開されたということになっているが,これは実はT.アーマットという写真家がキネトスコープ用のフィルムをスクリーンに映写する方式を考案し,これにエジソンのバイタスコープの名が冠せられて大々的に興行されたものであった。…

【メリエス】より

…パリ生れ。多趣味多才で,トリックをとり入れた幻想劇やマジック・ショーの演出家,興行師となるが,1895年,リュミエール兄弟の〈シネマトグラフ〉の歴史的なプレミアを見て心うたれ,96年,ロンドンでロバート・W.ポール(1869‐1943)の〈バイオスコープ〉映写機とエジソンの〈キネトスコープ〉作品を買い入れて映画の上映を始め,さらに〈バイオスコープ〉のメカニズムをもとにしたカメラを作り,〈スター・フィルム〉社を設立して実写映画の製作を始めた。97年には,パリ郊外のモントルイユの邸宅の庭にヨーロッパで最初のグラス・ステージを中心とした撮影所を作り,手工業的であった映画作りを改め,職能を分化した映画の製作システムを確立,トリックを自在に使った荒唐無稽な喜劇や幻想的な映画を作った。…

※「スター・フィルム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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