世界大百科事典(旧版)内のスチュアート,M.の言及
【フアン・デ・アウストリア】より
…76年,フェリペ2世の命令でフランドルに赴き,悪化する一方の事態を交渉によって収拾しようと試みたが,これを果たす前にチフスにかかって死去した。 なお,宗教革命下のイギリスの世論の中には,フアンとメアリー・スチュアートとの結婚によって,自国のカトリック再興を期待する動きがあった。【小林 一宏】。…
※「スチュアート,M.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」