世界大百科事典(旧版)内のステップ・ルートの言及
【シルクロード】より
…遊牧地帯を横切る交通路。草原の道,ステップの道,ステップ・ルートなどと呼ばれ,すでに前5世紀のヘロドトス《歴史》に記述が見られる。(2)洛陽・長安などから河西回廊を経て敦煌に至り,以後おもなものは2道に分かれ,1道はタリム盆地の北辺,天山山脈南麓のオアシス諸都市を経由してカシュガルに至り,次いでパミールを越えてフェルガナ盆地に達し,以後西トルキスタン,西アジア,南ロシア方面へと進むもの。…
【東西交渉史】より
…これらの初期の交流が,いかなるルートを利用して行われたものであるかは,あくまで推定の域を出ないが,前5世紀になると,ヘロドトス《歴史》に,黒海の北岸地方から東進して,ボルガ川,ウラル山脈を横切り,アルタイ山脈を経てさらに東方ないし東南方へと進む東西交通の一つの幹線ルートが明瞭に記録されている。この,北方の草原の遊牧地帯を東西に横断する交通路は,一般に,〈草原の道〉〈ステップ・ルート〉などと呼ばれるが,おそらく前5世紀以前から,ギリシア商人によって毛皮,金などの運搬路として利用されていたものであろう。またこのルートを経て,貴金属と動物意匠を特徴とする黒海北岸のスキタイ文化(前6~前3世紀中心)が東方へと伝播し,前3世紀の匈奴の興隆を促したにとどまらず,匈奴を仲介として,古代中国の軍事技術(騎馬戦術)や銅器の様式などにも種々の影響を及ぼしたことは,このルートの持った文化交流史上の重要性を物語る。…
※「ステップ・ルート」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」