世界大百科事典(旧版)内のスピタメネスの言及
【アレクサンドロス[大王]】より
…2度にわたる王暗殺の陰謀も同じ状況の産物だった。前329年春ヒンドゥークシュ山脈を南から北に越えてバクトリア,ソグディアナに進攻したアレクサンドロスは,ここで土着豪族のスピタメネスSpitamenēsを指導者とする,オアシス住民と遊牧民との共闘に支えられた民衆の熾烈な抵抗戦に直面し,2年におよぶ苦戦を強いられた。 彼はさらに東の大洋岸への到達を目ざして前327年秋インド北西部に進攻し,象部隊を擁するポロスPōros王の軍をヒュダスペス(ジェルム)河畔の戦(前326)に破るが,長途の征戦に疲れた将兵の前進拒否にあいヒュファシス(ベアス)河畔で東進の継続を断念した。…
※「スピタメネス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」