世界大百科事典(旧版)内のスピーゲル,S.の言及
【イギリス映画】より
…ハリウッドの映画会社フェイマス・プレイヤーズ,ラスキーLasky(パラマウントの前身)が1916年にロンドン郊外のアイリントンに撮影所を作って〈アメリカ映画〉を製作し,18年にはハリウッドの巨匠D.W.グリフィスが時の宰相ロイド・ジョージの要請で,イギリスの国策映画《世界の心》を撮っているが,以来,30年代末には,MGM=ブリティッシュがK.ビドア監督《城砦》,S.ウッド監督《チップス先生さようなら》(ともに1939)などイギリス的題材による〈アメリカ映画〉,あるいはむしろハリウッド的超大作の〈イギリス映画〉の製作の先鞭をつけ,また50年代にはJ.ヒューストン監督《アフリカの女王》(1951),《赤い風車》(1952)などイギリスの製作会社による〈アメリカ映画〉も作られる。《アフリカの女王》の製作にかかわったS.P.イーグルは,ハリウッドの〈赤狩り〉から逃れてイギリスにきていたハリウッドのプロデューサー,サム・スピーゲルの変名で,この後彼はD.リーン監督《旅情》(1955),《戦場にかける橋》(1957),《アラビアのロレンス》(1962)などのアメリカ資本の〈イギリス映画〉を製作する。同じように〈赤狩り〉から逃れたカール・フォアマンも,C.リード監督《鍵》(1958),J.リー・トンプソン監督《ナバロンの要塞》(1961),そしてみずから監督の《勝利者》(1963)を製作。…
【戦場にかける橋】より
…ハリウッドの〈赤狩り〉でイギリスに亡命していたプロデューサーのカール・フォアマン(1914‐84)が,〈戦争の狂気〉を描いたフランスのピエール・ブールの小説に目をつけて映画化のオプション(選択権)を得た。それを引き継いだサム・スピーゲルが《波止場》(1954)の製作で実績を残したコロムビア映画にもちこんで映画化したといわれているが,実はその前にアレクサンダー・コルダが弟のゾルタン・コルダに監督させるつもりで映画化権を手にいれたものの,小説の中に描かれているイギリスの大佐が狂人か反逆者のように描かれているという理由で企画を捨て,映画化権をスピーゲルに譲渡したという説もある。第2次世界大戦中タイとビルマを結ぶ鉄道敷設とクワイ河に架かる鉄橋の爆破をめぐるイギリス,アメリカ,日本の3ヵ国の軍人気質の葛藤(かつとう)とそれぞれの死にざまを描いて〈戦争のむなしさ〉を訴えた映画で,戦争映画としては1930年の《西部戦線異状なし》以来のアカデミー作品賞,監督賞をはじめ七つのオスカーを受賞した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」