スリースウィー戦争(読み)すりーすうぃーせんそう

世界大百科事典(旧版)内のスリースウィー戦争の言及

【スリースウィー問題】より

…一方で住民の4分の3がドイツ人となる〈シュレスウィヒ・ホルシュタイン両公国〉の一体視の思想は,ドイツ統一運動の一環に組み込まれていたため,国家再編成をめざす両民族の衝突は避けられなかった。1848年3月,デンマークでは自由主義者の政権が誕生し,それに抗してシュレスウィヒ・ホルシュタイン主義者がキール臨時政府を樹立しドイツ連邦の援助をあおいだため,デンマーク,プロイセン軍が出兵し,第1次スリースウィー戦争(1848‐50)に突入した。戦前の状態の維持がデンマークの勝利の代償であり,結果的に第2次スリースウィー戦争(1863‐64)を招来し,デュベルDybbølの戦で決定的敗北を喫したデンマークは,スリースウィー,ホルシュタイン,ラウエンブルクの3公爵領を失った。…

※「スリースウィー戦争」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

ユーラシア大陸、北アメリカ大陸北部に広く分布し、日本では北海道にエゾヒグマが生息する。成獣は体長2メートル以上、体重300キロにもなり、日本最大の陸生動物として知られる。雑食性で草や木の実、サケ、シ...

ヒグマの用語解説を読む