タイグエン監獄蜂起(読み)たいぐえんかんごくほうき

世界大百科事典(旧版)内のタイグエン監獄蜂起の言及

【光復会】より

ドンズー運動失敗の後,広東に移ったファン・ボイ・チャウらが1912年に設立したベトナムの革命組織。維新会の後身。盟主にクオン・デ(彊)を推戴し,抗仏武力闘争と民主共和制の樹立を標榜した。会は広東に光復軍を組織してベトナム国内への進攻を企図するとともに,辛亥革命後の中国からの資金援助を期待して振華興亜会を設立した。しかし13年から17年までファン・ボイ・チャウが広東軍閥の手で投獄され,このために会の活動は系統だった組織として展開されたというよりも,ベトナム国内や中国各地で光復会や光復軍を名乗る活動家たちによってばらばらに進められる状況を呈した(例えば17年ベトナム北部のタイグエン監獄での蜂起など)。…

※「タイグエン監獄蜂起」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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