世界大百科事典(旧版)内のタウバータール農民団の言及
【ドイツ農民戦争】より
…エルザス地方では,エラスムス・ゲルバーを指導者とするアルトドルフ農民団をはじめ,五つの農民団が結成されたが,しかし,カトリック信仰の権化ともいうべきロートリンゲン公アントンにより,5月16日ツァーベルンの戦で撃破され,虐殺されたエルザス農民は実に2万人にのぼったといわれる。 フランケンでは,3月22日以降,ローテンブルク市周辺の163ヵ村が蜂起し,タウバータール農民団を結成した。同じころ,ネッカータール・オーデンワルト合同農民団が成立し,その指導者となったのはホーエンローエ伯の官房書記を勤めたヒプラーWendel Hipler(1465ころ‐1526),農奴ロールバハJäcklin Rohrbach(?‐1525)であり,軍事指揮者には帝国騎士ベルリヒンゲンがなった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」