タル・イ・マルヤン遺跡(読み)たるいまるやんいせき

世界大百科事典(旧版)内のタル・イ・マルヤン遺跡の言及

【アンシャン】より

…アンシャンの政治的重要性は,前2千年紀の統一エラム王国における支配者の称号〈アンシャンおよびスーサの王〉に示されている。所在地についてはこれまで諸説が対立して不明であったが,1971年以降の発掘調査によってイラン南東部のタル・イ・マルヤン遺跡に比定されるにいたった。それはおよそ130haの遺丘を有する広大な都市遺跡で,シーラーズの北方約46kmにあり,ペルセポリスからもほぼ同じ距離にある。…

※「タル・イ・マルヤン遺跡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む