タル・イ・マルヤン遺跡(読み)たるいまるやんいせき

世界大百科事典(旧版)内のタル・イ・マルヤン遺跡の言及

【アンシャン】より

…アンシャンの政治的重要性は,前2千年紀の統一エラム王国における支配者の称号〈アンシャンおよびスーサの王〉に示されている。所在地についてはこれまで諸説が対立して不明であったが,1971年以降の発掘調査によってイラン南東部のタル・イ・マルヤン遺跡に比定されるにいたった。それはおよそ130haの遺丘を有する広大な都市遺跡で,シーラーズの北方約46kmにあり,ペルセポリスからもほぼ同じ距離にある。…

※「タル・イ・マルヤン遺跡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」